小さな絵本博エピソード1では『コドモだったことを忘れずにいるオトナのための、ものがたり』をご紹介しています。
日々の仕事に追われ、ふと「自分はいま、どこにいるんだろう?」と感じることはありませんか。まるで不思議の国に迷い込んだアリスのように、奇妙なルールと不条理な要求が渦巻く世界で、手探りで進んでいるような感覚。あるいは、正体もわからない「スナーク」という名の成功を追い求めるうち、もしそれが自分自身を消し去ってしまう「怪物」だったら、という漠然とした不安。
この小さな絵本博は、そんな現代の迷路を歩むあなたに贈る、ささやかな道標です。ここに集められたのは、ルイス・キャロル、サン=テグジュペリ、そしてトーベ・ヤンソンという三人の作家が描いた、時代を超えて愛される物語たち。かつて子供時代に出会ったかもしれないこれらの物語を、今、大人の目で読み解くとき、そこには驚くほど現代的なキャリア観や人生の問いへのヒントが隠されています。
不思議の国で「働く」ということ:ルイス・キャロルの論理と非論理
『不思議の国のアリス』の世界は、現代の職場環境の写し鏡のようです。ウサギの穴に落ちるアリスの戸惑いは、社会人として新しい環境に飛び込んだ私たちのそれと重なります。そこでは、ハートの女王が叫ぶ「首をはねろ!」のように、絶対的で理不尽なルールがまかり通り、登場人物たちは不可解な「怒り」に突き動かされています 。しかし、忘れてはならないのは、作者ルイス・キャロルが数学者であり論理学者であったという事実です。彼が描くナンセンスは、単なる無秩序ではありません。それは、言葉と論理を徹底的に分解し、再構築した「表面の文学」であり、独自のルールを持つゲームなのです。アリスが生き延びたのは、混沌に身を任せたからではなく、その奇妙な世界の論理を必死に読み解こうとしたからでした。これは、複雑な組織の中で自分を見失わず、その「ゲームのルール」を理解し、したたかに乗りこなしていくための、一つの生存戦略を示唆しています。
一方で、キャロルのもう一つの傑作『スナーク狩り』は、私たちのキャリアにおける野心の危うさを描き出します。「スナーク」とは、成功、昇進、あるいは「やりがい」といった、私たちが追い求める漠然とした目標の謂いかもしれません。パン屋、ビリヤード係、靴磨きといった寄せ集めの乗組員たちは、「希望」や「フォーク」といった心許ない道具でそれを探します。この詩の最も恐ろしい点は、追い求めたスナークが「怪物」であった場合、狩人は「音もなく静かにそして突然に消えてなくなる」という結末です。これは、目標達成のために自分をすり減らし、アイデンティティを見失ってしまう「燃え尽き症候群(バーンアウト)」の完璧な寓話と言えるでしょう。特に、自分の名前さえ忘れてしまった登場人物「パン屋」は、仕事に没頭するあまり自分自身を見失ってしまった現代人の悲しい肖像画のようです。これらの物語は、私たちに問いかけます。あなたが追い求める「スナーク」は、本当にあなたを幸せにするものですか、と。
「たいせつなこと」を見つめ直す:サン=テグジュペリの哲学
めまぐるしい日常の中で、私たちはいつしか「数」や「肩書」といった、目に見えるものばかりを追い求めてしまいがちです。サン=テグジュペリの『星の王子さま』は、そんな「おとな」の世界に、静かな警鐘を鳴らします。星の数を数えることに夢中な実業家や、他者からの賞賛だけを求めるうぬぼれ男。王子さまが旅した星々の住人たちは、現代社会の価値観のカリカチュアです。若者が仕事に対し、報酬だけでなく、人や社会への貢献、そして自己成長を求める現代において、「かんじんなことは、目に見えない」というキツネの言葉は、より一層深く胸に響きます。
キツネが王子さまに教える「なつく(tame/apprivoiser)」という行為は、効率や生産性とは対極にある、時間をかけた関係構築の重要性を説きます。「友だちをうるやつなんて、どこにもいないから、ひとには、友だちってものがちっともいない」という言葉は、インスタントな繋がりが溢れる現代への鋭い批評です。それは、職場における人間関係にも通じます。真の信頼関係は、利害の一致ではなく、共に時間を過ごし、互いをかけがえのない存在として認め合うことから生まれるのです。
この思想は、サン=テグジュペリ自身の飛行士としての体験が綴られた『人間の土地』で、さらに深められます。そこで語られる「愛するとは、たがいに見つめあうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」という一節は、チームワークの本質を捉えています。最高のチームとは、ただ仲が良い集団ではなく、共通の目標やビジョンに向かって共に進む仲間たちのこと。サン=テゲジュペリは、人間関係こそが「ただ一つの真の贅沢だ」と語りました。困難な仕事やプロジェクトも、同じ方向を見つめる仲間がいれば、それは苦役ではなく、絆を育むための尊い時間となり得るのです。
自分の灯台を建てる:トーベ・ヤンソンの世界と自己発見
変化の激しい時代において、心の拠り所となる「安全な場所」を誰もが求めています。トーベ・ヤンソンが創造した「ムーミン谷」は、まさにそのような理想郷として私たちの前に現れます。そこでは、「内気で、すこしかわりもの」な生き物たちが、ありのままの姿で受け入れられます。ムーミンママの開かれた心と、いつでも誰かのために用意されているコーヒー。この谷に流れる無条件の肯定感は、現代人が職場に求める「心理的安全性」の原型と言えるでしょう。この優しさに満ちた世界が、戦争の不安と恐怖の中から生み出されたことを知ると、その意味はさらに深まります。ムーミン谷は、作者ヤンソンが過酷な現実に対峙し、意識的に築き上げた「心のシェルター」なのです。
しかし、ヤンソンの物語は、ただ安住の地を描くだけでは終わりません。後期の傑作『ムーミンパパ、海へいく』では、ムーミン一家は住み慣れた谷を離れ、海を渡り荒涼とした孤島へと移住します。平和な日常に物足りなさを感じ、自分の存在価値に疑問を抱いたムーミンパパが、新たな役割を求めて下した決断でした。これは、安定したキャリアに行き詰まりを感じ、専門性を磨くために新たな挑戦へと踏み出す現代人の姿と重なります。慣れない環境で、一家がそれぞれに孤独と向き合い、自分の足で立つ術を学んでいく様は、成長に伴う痛みと希望を描き出します。私たちは皆、いつか安心な「ムーミン谷」を後にして、自分だけの「灯台」を建てなければならない時が来るのかもしれません。
また、ヤンソンが描いた小説『少女ソフィアの夏』は、人生の始まりにいる少女ソフィアと、終わりに立つ祖母との対等な関係を通して、生と死、そして自然との関わりを静かに見つめます。世代の違う二人が交わす、時に辛辣で、時に愛情に満ちた対話は、変化を受け入れ、自分らしく生きることの尊さを教えてくれます。
新しい視点という贈り物:絵筆が紡ぐ、もうひとつの物語
本展では、同じ物語が、異なるイラストレーターによって全く新しい表情を見せる点にもご注目ください。例えば『不思議の国のアリス』一つをとっても、その世界観は描く人によって千変万化します。
| イラストレーター | 書籍 | スタイル・特徴 | 解釈される世界の印象 |
| ジョン・テニエル | 不思議の国のアリス | ヴィクトリア朝の版画、緻密な線画 | 厳格で不条理な社会的ルールと論理パズルの世界 |
| 草間彌生 | 不思議の国のアリス | 現代アート、水玉、オブセッション | 幻覚的で強烈な、内的な心理風景としてのワンダーランド |
| 佐々木マキ | 不思議の国のアリス | 軽妙なシュルレアリスム、柔らかな色彩 | 夢のようで優しく、少し物悲しい、探検すべき奇妙な世界 |
| ロバート・サブダ | 不思議の国のアリス(とびだししかけ絵本) | ペーパーエンジニアリング、動的な彫刻 | 常に変容し、驚きに満ちたインタラクティブな世界 |
| 山本容子 | アリス | 銅版画、モダンな融合 | 知的で重層的、美術史や他作品との対話が生まれる世界 |
また、スナーク狩りにおいても、物語の本質を変えることなく、トーベ・ヤンソンとヘンリー・ホリデーという二人のイラストレーターは異なる表情を見せる世界を描き出しています。
| トーベ・ヤンソン | スナーク狩り | 表情豊かなインク画、雰囲気のある描写 | 不条理と実存的な重みが共存する、人間味あふれる世界 |
| ヘンリー・ホリデー | スナーク狩り | 複雑で細密な描画 | 意図された不条理さが視覚化された世界 |
これらの多様な表現は、一つの物語に無数の入り口があることを示しています。それは、私たちの人生やキャリアもまた、一つの視点に縛られる必要はない、というメッセージに他なりません。この展覧会が、あなた自身の物語を新たな角度から見つめ直し、日々の喧騒から少しだけ心を解放する「アナログなウェルネス」の時間となることを願っています 38。どうぞ、ごゆっくりと、これらの世界を旅してください。そして、あなただけの「たいせつなこと」を見つける、小さなきっかけを持ち帰っていただけたなら幸いです。


